最終日に思う

ひと月前に首を痛めて通いはじめたPhysiotherapieも今日で6回、最終日である。症状自体はそこそこよくなってきていて、「あとは柔軟と運動。これからは自己管理しつつ、努力ですね」という話を朗らかに交わして終了となった。笑顔で挨拶したものの、どちらかといえば「こつこつ」は苦手なほうなのだ。わたしは「努力」の試される今後から目を逸らすようにして、なんとなく過去のことを思い出していた。はじめてこのPhysiotherapieに通った日の緊張を、よく覚えている。

暑くて寒い日

外に出るといろいろある。中にいてもそれなりにある。どこにいたってなにかしらくる。5月最後の日はハイスでカルトでいろいろだった。

Mのバルコンの花たちに水遣りをしてこよう。そしたらやっと今日がおしまい。

追記(1 June)。最後に、左足のスネの付け根が攣った。痛みに強いと思っていたのは過信だとわかる。ほんとうに、今日はおしまい。

パン屋の教訓

あそこのパン屋で手押し車のヨロヨロしたお婆さんを見かけても、安易に助けてはいけないらしい。手を差し伸べようものなら「Nein, Nein, Nein, Nein!!」と嫌がられる。支払い(カードは店員さんが身を乗り出し手を延ばして受け取ったものの「暗証番号はさすがに自分でね」と困り顔で応対されていたらしい)もパンの受取りもおぼつかないとくれば、出口の扉くらいは本人に代わって誰かが開けてあげるべきではないか。しかしそれは、彼女の望むところでは(まったく)ないのだ。Neinを4回も発するなんて、よほどの拒否である。

ものはいいよう、捉えよう

思いがけず空いた3時間を潰すのは、なかなか難しい。友人とのディナーの待ち合わせを3時間も間違えるのは、もっと難しいかもしれない。「大人としてどうよ」とか、シンプルに「間抜け」なのだという可能性もでてきた。メッセージの早合点とは、なんとおそろしいのだろう。単語の意味はすべて理解できたとしても、わたしはその内容を「ほんとうに」わかっているのだろうか? いまいちど気をつけなくてはと反省する。でも「3時間を潰す」くらいで済んだのだし、うろうろしながら発見もあって意外に楽しかった。だから今回はむしろラッキーじゃないの?ということに(しばらくしてから)すぐなった。感謝?かもしれない。

『ケイコ 目を澄ませて』

顕微鏡を熱心に覗き込んでいたら、普段はぼんやりとするいろいろが鮮明に視界を占領して、まるで現実サイズのもろもろはどこかへ消えてしまったような感覚になる。小さいと思っていた世界がほんとうは小さくなくて、逆に世界とわたしをすっぽり包み込んでしまったみたいに。ー そんな体験から戻ってきたあとの疲れ(のようなもの)が、観賞後に残った。

見る世界

あるとき、友人から久しぶりのメールがあった。自転車で思わぬ大きな事故にあって、2週間ほどの入院を終えて退院したところだという。昔、K(わたし)が朝の通勤時に背ろからママチャリに追突されて、カバンとピンヒールが吹っ飛んだ話を思い出した、というようなことが書いてあった。そう、あの日はやけに青空の綺麗な冬の朝だった。わたしはお気に入りのファージャケットを羽織り、いつもどおり小さすぎるバッグ(いまならスマートフォンだけでいっぱいになる)を手にさげて、薄いブルーデニムを気持ちルーズに履きながら、裸足にピンヒールで出勤する途中だった。晴天をはっきりと覚えているのは、転倒して地面から(文字通り)天を仰いだから。ぼんやりとした目が追った去りゆくママチャリの黒っぽい背中は、体の感じからして若い男性のようで、そのまま猛スピードで見えなくなった。

Do You Speak English?ーあるショートコメディから思うこと

とある仏語圏の田舎町で、ひとりの女性が地図を片手に困っている。車が故障してしまったので、このあたりで修理屋さんを探しているのだ。そこへ干し草を咥えた自転車の男性が、呑気に通りかかる。女性は「Do you speak English?(英語、話せますか?)」と話しかけるが、即座に「No, I don’t. Sorry(話せない、ごめん)」と返されてしまった。しかし意外にもスムーズに会話が成立したせいだろうか、女性は自分の状況をつづけて簡単に、英語で、説明する。男性はそれをしかと聞きとめたうえで「何を言ってるかわからないよ、一言も理解できないんだ」と応え、流暢な英語で「もう少し学校で真面目にやってればよかったんだけどね」などと付け加える。

Physiotherapie

わたしがひととおりの説明を終えると、「いつからそんなふうに曲がってる感じですかね?」とストレートに聞かれた。心当たりがないわけでもない。それでも、そんなにはっきりと指摘されたことはさすがにないので一瞬ドキっとする。

「生まれつきらしいです」とお答えした。首の骨のことである。

指揮者クラウス・マケラ、ベルリン・フィル・デビュー

クラウス・マケラ、1996年フィンランド生まれ。オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者であり、2021年からパリ管弦楽団の音楽監督を兼任。2027年にはコンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者となることが決まっている。紹介文の華々しさそのままに、彼のデビュー公演は連日完売だ。演目はショスタコーヴィチとチャイコフスキー、いずれも交響曲第6番である。