旅のはじまり

7時26分発の電車に乗る。中央駅まで「普通にいけば」うちから20分と掛からない。それでも前日の夜、わたしはリビングのメモに「6:30出発」と大きく書いた。「うまくいく」なんて踊り出したいくらいのしあわせ、たいてい「普通にいかない」のがこの街の普通なのだ。

ビープを追いかけて

ここ数日よく眠れない。早朝に目が覚める。その時間ならもう起きてしまえばいいのに、と思わないでもないけれど、誰にだってタイミングというのがある。でも夜とちがう、朝のフライングはいたって平和。わたしは半透明の薄光のなかで、そこだけまだ影の残る天井の隅をぼんやり眺める。太陽も向かいのバス通りもこの部屋も、半分以上が眠ってる。血圧は深すぎるところに潜ったままで、目から焦点を合わせはじめる。すると耳の方が先に掴んだ。どこかで警報が鳴っていた。

シュパーゲルの季節

シュパーゲルへの熱狂なしに、ベルリナーにはなれない。逆かもしれない。ベルリナーでいるなら、熱狂するよりほかにない。白いアスパラガスはほとんど唯一の季節モノ。「またお会いできましたね、お元気でした?」ー野菜相手に気恥ずかしくなったり、神聖すぎて教会のキャンドルに見えてきて、待望の食欲が一瞬躊躇したりする。こういうあべこべは、白アスパラの熱狂のせい。または、ベルリンのせい。

ハロー、ハロー、サマータイム

小雨が止まない日曜日。体感温度は4℃だけれど、きのう5ヶ月の長い冬を一緒に越したロングダウンをクリーニングへ連れてった。だって今日からサマータイム。夏遠し、春も怪しいくらいだけれど、「サマー」に釣られたベルリナーたちはフライング。短い革ジャン、Tシャツスタイル、それは絶対にまだ早い。

甘いのは苦手

この街に来て持ちものが変わった。ピンヒールのクツやビジューのついたバッグ、デリケートなつくりで複雑にふくらむスカートなんかにもうずいぶん会ってないんだよね、とか、そういう話ではない。わたしが内側に持っているもの、なにかしらその人を特定する匂いや味わいのようなものが、知らないあいだにすっかり変わったようなのだ。わたしはどうやら「甘い」らしい。だから甘くみられて、ようはナメられる。

型とわたし

なにかと型どおりを嫌うくせに、押し付けられるどころか自ら進んでその中にすっぽりおさまってしまう型があるとしたら、ひとつだけ。「夜型」である。といって夜に遊ぶでもなく(できれば家でおっとりしてたい)、徹夜もしないし(しない主義)、もともと低いわたしの声は夜ならもっと低くなる(覇気のなさまで加速する)。

こわい風邪

「青空の日に風邪を引くのはわたしの避けられない運命」と言葉にしたら、ほんとうに風邪を引いてしまった。ここが東西に分断されていた時代に壁の近くで生まれ育った友人は、15年ぶりくらいにベルリンらしい寒い2月だと言っていた。そのせいで雪の映画祭になって、降り積もった白の乱反射で街が別人みたいにキレイに見える。空は地中海の青、シワも汚れもない。わたしはそのあいだずっと高熱で、ベッドに転がり、枕カバーのヨレた折り目が頬に張りついて消えなくなった。顔を洗うのも億劫、モノを食べる気力もない。「なんでこんなことになっちゃったんだろう」、丸く小さくなりながら繰り返した。

めいろ

右斜め上の方からミニカバ、スノウドームの中からはミニ白クマが、黒目だけの眼でこっちを見ている。顔らしい顔のついた抱きごたえのある人形が昔から苦手だったけれど、この小さなふたつとは相性がよい。このところぜんぜん前進しない作業を目の当たりしても、文句ひとつ言わない。文句を唱えるのはいつだって、この部屋の人間のわたし。

郵便受取人

最近はどこの国でも、郵便配達人ほど大変な仕事はないかもしれない。『イル・ポスティーノ』はほとんどファンタジーになってしまった。ましてやここに海の匂いは届かないし、届ける先も詩人ばかりではない。ベルリンで東京からの荷物を待つ人は、携帯のアプリでDHL EXPRESSの進捗状況を更新に更新をかけながら確認するばかり(自分ではどうしようもないのだから大らかに待つしかないのに)、それこそ詩情の欠片もない。

二代目とジレンマ

「わたし、永遠にファーストピアスのまま」ーもうだいぶまたすこし大人になって、そうやって言うのも悪くないかと思っていたけど、貫くまでにはずっと未熟。一月のある火曜日、朝食のサンドイッチはいつもと違うツナとアボカドで、わたしの耳たぶからはファーストピアスがいなくなった。新しい月と新しい気分、新しい出来事。新しさの高速列車に飛び乗って、さっそく酔って、左耳たぶの調子が悪い。二代目のピアスを初代がちょっと、嫉妬しただけのことかもしれない。

二月の灰色の街

ベルリンの二月は映画祭一色になる。なにも大袈裟に言うのじゃなくて、本当にソレしかない。ほとんど夜の灰色の街で、映画祭は一筋の光になる。近づくにつれて、街なかのバス停や円筒形の野外広告塔に熊のポスターをぽつぽつと見かけるようになって、それで「はい、金熊の季節ね」と脳内の一隅にぱちっと明かりが点灯する。

そこからここへ、戻る。

飛行機で世界をとびまわる人たちは、みんなほんとうに帰って来れているんだろうか。いまわたしは秋(ほとんど冬)のベルリンにいるけれど、気持ちの欠片はまだ夏の東京でもたもたしている。時差ボケは体のピントが合わないことじゃなくて、どちらかといえば心の問題なのかもしれない。

いつも裏返し

この街で荷物が届かないのは驚かない。目当ての日に一日中家で待機して、玄関のベルはリンともスンとも鳴らなかったのに「あなた不在で残念だけど配達できませんでした」と通知される。でもその知らせを受ける時、たいてい配達員はウチに来ていない。ノールックでパケットショップにパスされているのだ、本当に残念だけど。訪ねて来なかった人から「不在だ」と言われるネジれた感じがベルリンらしくて、嫌いじゃない。もしかしたらやるせなさの裏返しで、心がポジティヴに動いてるだけかもしれなくても。

今はまだだめだ

もう5月が終わってしまうけど、冷蔵庫はカラのまま。もうすぐ壊れてひと月になる。この部屋の管理会社も、その管理会社の委託で冷蔵庫を探してくれる電気屋も、いつ聞いても同じことを繰り返す。

「ベストを尽くしてる」
「取り寄せに最低7Werktageは掛かる」
「でも配送が混んでるから、どうなることか」