外の白が反射して、部屋を照らす日は心が軽い。しんしんと雪は降ると思っていたけれど、こちらではさらさら鳴りながら落ちてくる。きっとひどく乾いている。着地してからも、なかなか溶けない。コンクリートにも石畳にも迎合しないまま、おとといの雪はまだ残っていた。雪もただしくベルリナーだ。
Notes
ピアス・その2
B said “I’m too tall.”
K said “I’m too little.”
『君たちはどう生きるか』
土曜日の21時。宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』(日本語・ドイツ語字幕付)。歩いて映画館に着くと、もう外まで人が溢れていた。右手にビール、左手は煙草。こんな零下の夜によく平気ねと思う。賑わいをすり抜けて中に入ると、今度はニット帽がUの字に並んでいた。ドリンクとポップコーンの列だった。ベルリンでこんな時間の映画館へ来たのははじめてで、眠らない夜があるのを思い出す。この街の週末には、バスも地下鉄も24時間走るのだ。
ピアス
ピアスをあけた
耳にあけた
ふたつあけた
ベルリン、布団から想う
ついに地球が沸騰してしまったので、ベルリンでも夏には夏の掛け布団が必要になった。ほんとうはそんな街ではなかった。もちろん10年やそこら住んだくらいで「ほんとう」のカケラも知るはずはないけれど、わたしにとってここは「365日おなじ1枚の掛け布団で眠る」街だった。つい、ほんの3年前まで。
スペイン・バスクから
「美食」と聞いて鼻白んでしまうのは、わたしがひねくれているせいか、めんどうくさいせいか、またはその両方なのかわからない。なんとなく「人の手の込んだ、贅沢で煌びやかな一皿」を連想してしまうのだ。サン・セバスティアンはたしかにおいしい街ではあったけれど、それはその土地の水と土と風と人が長い時間をかけて育んできたローカルで有機的な味わいだった。「君、それこそ美食というのだよ」と美食家に言われるかもしれない。できればそんな肩書きの人には会いたくないけれど、そのための準備をしなくていいわけもない。
サン・セバスティアンへ
他所の家に招かれた時、一番「よそ」を感じるのは、開かれたドアを抜けて敷居を跨ぐ瞬間かもしれない。知らない匂い、違う生温かさ、見慣れない壁掛けと置き物の配色。家のすべてが侵入者(わたし)を威嚇して、それから少しずつ、こちらを品定めしながら親しみを小出しにしてくる。うまくいけば、帰る頃には別れの挨拶をする仲になる。といって極度の人見知りはわたしの方で、そもそも他所の家自体には何の問題もない。
ある日のパリ
ラグビーのワールド・カップがあるからなのか、いつもより街は混んでいた。街の中心にあるコンコルド広場周辺はパブリック・ビューイングの会場が設置されていて、車は迂回を迫られる。パリのドライバーが忍耐強くてセーフティ・ファーストだったことは、きっと過去に一度もない。
9月、最終日曜日の使命。
いつ来るのかはっきり分からないけれど、それが来るときには絶対に万全の状態で迎え出ないとならないことがある。先週の日曜日が一年に一度のその日だった。ベルリン・マラソン。うちから徒歩3分のよく知る大通りを、世界有数のランナーたちが蛍光色のシューズで駆け抜ける。35キロ地点、「いちばん苦しいポイント」といわれる。
言葉とくらす
魔法使いとおんなじで、言葉使いというのがいる。たいていの人はふつうの言葉遣いでふつうに話すだけだから、暮らしの脅威にもワンダーにもならない。それでもときどき特別な言葉使いに出会うことがあると、わたしの左耳の先っぽは秒速でパタパタ二回震える。ベルリン語学学校の中級クラスで一緒だったITは、発する言葉で煉瓦造りの家を建てた。
クリームを買いに
「今日はまた暑くなるらしい」と聞いたのに、空はたいして青くないし、太陽だって逃げ腰だ。この家なんて、もう冷気が床を泳いでいる。やだな、ぶ厚い靴下をまた履かなくちゃ。やっぱりもう秋じゃない、とわたしは恨めしく思う。なんとなく部屋の真っ白の壁を指先ですくってみたら、棚の奥に忘れられた陶器の花瓶みたいにひんやりしている。このままここにいたら凍ってしまう気がして、アイデアもなく外に出た。
Everything Everywhere All At Once
去年の映画賞レースでタイトルが踊るのを横目に通り過ぎた。評判も耳にして意欲はあったはずなのに、実際に観るまでなんと時間の掛かったことか。忙しいふりをしているのか単に怠惰なのか、境目がぼんやりとしてよく見えない。見えなかったことにしよう。
新しい景色
列車の出発までまだ時間があったから、ベルリン中央駅のキオスクを覗いてまわる。土曜の昼の駅は旅行者で溢れていた。彼らの心はとっくに別の目的地へ出発してしまったみたいで、残された体だけが駅の構内や売店を虚ろに移動している。サンドイッチに伸ばす手も、支払いのコインをつまみ出す指も、みんないつもより10秒は遅い。わたしはどうにか心を体に引き留めたまま、テトラパック入りの水を注意深く探していた。それがスタジアムへの持ち込みを許された、唯一の飲み物だったから。
待てる大人
ネットで購入した古本が、一週間経っても届かない。購入ページを覗いても進捗はないし、今どういう状況にあるかもわからない。ベルリンへ来た頃なら配送は速くて3日後、よく起こるのは行方不明だった。それと比べたら良い方かもしれない。この頃は翌日配送だって夢ではないのだ。それにしたって出品者からの購入とはいえ、一週間音沙汰無しはあまり知らない。「今なら即」の表示に誘われて、チャットで問い合わせをすることにした。ロボットチャットではなく、人に繋がるタイプのチャットだ。
バルコン・コミュニケーション
バルコンによく来ては蜜を採集する蜂がいる。2センチ未満、お尻の黒と黄色の縞々が、産まれたてのひよこみたいにフワフワしている。見かけるたびに、思わず「触ったらどんなんだろう」とひっくり返った考えに足を掬われそうになって、しかしやはりなんといっても蜂だけに遠慮しようと正気が顔を出し、伸びそうになった左手を引き戻す。
パンクする
たとえばちょっと喉が渇いて、水を買うのに入った小さなコーナー・ショップでも「現金は使えません」と返されてしまう街では、すれ違う人も皆こ綺麗だ。お目当てのコインを小さな財布宇宙から探し出すときに指に染みつく、あの古いメタルの匂いは思い出話になるかもしれない。この国の、折り目の全然つかないフューチャリスティックな紙幣をちょっと気の毒に思う。もう誰も日常的には使わなくなるんだろう。未来感満載の過去なんて哀しすぎる。お札の顔、クイーンからキングに変えなきゃ本当にだめ?そんなことを考えながら、ペットボトルをぶら下げてわたしはストリートを歩く。
KI
毎日できればチェックする19時のニュースに、このところKIがよく登場する。万国共通に話題のAIである。Artificial IntelligenceはKünstliche Intelligenzとなるわけで、その頭文字を繋ぐとKIになる。それはドイツ語のアルファベット読みで「カーイー」と発音される。同じ一つの内容を指しているのは明白だけど、聞くたびいつも咳き込みそうな苦しさが肺のあたりに充満する。「ケーアイ」ですらニュースの理解が一瞬遅れるのに、「カーイー」となれば3秒くらいは簡単に置き去りにされてしまう。「わかるけどさ、もういいじゃない」お決まりの独り言が条件反射みたいにこぼれた。
Geist
古本はいつも朝やってくる。昨日は英国オックスフォードから、Jorge Luis Borgesの『The Book of Imaginary Beings』。今朝はオーストリアとチェコ国境に接するドイツ南東部のパッサウから、Oliver Jahrausの『Literaturtheorie』が届いた。幻獣辞典と文学理論、柔らかいものと堅いもの。本当にまつわる噂を集めた本と、嘘みたいに本当らしく知がまとめられた学術書。こんなにも態度の正反対な本を、どちらも同じ真剣さで同時に読み進めるのは、ひょっとして不健康な行為では?という気もした。けれどかえって心と頭にとっては健全な試みかもしれない。いっぽう方向の似た態度ばかりの本をせっせと吸収し続けていたら、良くないことしか起こりそうにない。
移る季節
今週から夏が終わった。クローゼットの下の、手前のほうに重ねておいた新しいお古のカシミアセーターを引っぱりだした。コットンTシャツの上に、頭からすっぽりかぶってみる。するといつも幸福な気分になる。「はい、いまはまだ寒くはないですよね。でももしも万が一急に、本当に必要になったときには、あなたの味方としてもう傍にいるんですから安心」ーそう言って、毛ものは囁きながらわたしの肌に密着して、確かにほとんど1年中傍にいる。クローゼットで眠っている時間は、長くてせいぜい3ヶ月だ。
ラムの夜、転がる話
暑い日の続いた週の終わり、ある日の夜にMからお呼ばれして、ラムのローストをいただいた。ひとつ階段を上がっただけの彼女の部屋には、なんとも香ばしくて食欲をそそる香りが充満している。同じ建物の違う部屋で、こんなにも華やいだ美味しそうな世界が進行していたなんて。つくづく扉の向こうはわからない。「料理したら冷房なしの部屋に熱気がこもるよね、困るよね」という理由でカルテスエッセン万歳の我が家からすれば、火を使うメニューなんてとても嬉しい、ありがたい。