わからないことばかり

「頼りになるひと」なんて世の中にそういるはずはないのだけれど、今日わたしのところに突然現れた。携帯に警告が表示されるくらいの異常な暑さになる日の朝、三人セットでやってきた。

部屋のなかは扇風機の羽音がうるさくて、チャイムに気づくのが遅れてしまった。大声をあげながら思い切り、彼らは共用の戸を向こうから叩いてる。こちらから「ヤー、ちょっと待って」と叫んでいるのに、無視してドアを蹴破ろうとする。

フォイヤーヴェーア!わたしが慌てた果てに真っ赤な顔でドアを開けたら、マスタード色のサイみたいに分厚い服を着て、警報級の夏日にハイネックと手袋の消防士が乗り込んできた。

わたしより少なくとも40センチ大きくて、50キロは重たくて、20歳くらい若そうだった。遠くから走ってきて背中に飛び乗ってもびくともしないだろう。いかにも頼りになりそうだ。

入ってくるなり先頭のスキンヘッドが「いつから匂う!?」とドイツ語で聞いてきたので、ビー玉の目に吸い込まれそうになりながら「Ich weiß nicht(わからないよ)」とわたしは答えた。

するとすかさず3番目のアリソン・ベッカーが「いつから匂う!?」と英語でたたみ掛けて聞いてくる。ちがうちがう、言葉の意味がわからないんじゃなくて、わけがわからないんだとわたしは思った。

「いつから匂う」のか本当に知らない。誰が消防隊を呼んだんだろう?ー「10分前に隣人から異臭がすると電話をもらって、廊下に出てはじめて知った」と、ドイツ語で説明した。

「10分前??」2番目の消防士が驚いて声を出した。きっと想定していたのだろう、部屋のなかで、高齢の住人が、もしかして、というようなことを。そしてまたフォイヤーヴェーア!と怒鳴りながら、匂いの元(と思われる向かいの部屋)のドアをスキンヘッドが破壊しようとするから、「さっきこの部屋の住人には会ったよ!元気でした!」と小さいながら彼を制した。

「じゃあ、どうしていない?なぜ出てこない!?」と頭上から聞いてくるので、やっぱり「Ich weiße nicht(わらかないよ)」と言うしかなかった。「なぜ出てこない」のか本当にわからない。5分前にはいたはずなのに。異臭騒ぎを受けて呼び鈴を押してみたら、ふつうに扉が開かれた。

いつもの様子でGは出てきて、「ああ、鍵は見つかったよ」と薄くほほえみながら言った。ひょっとして廊下で見かけなかったか前日に聞かれたのだ。わたしは「よかった。でもなんか奇妙な匂いがするらしくって。あなたも気がつきました?もしかして料理やなんかしてたとか」と尋ねた。

いま思えば、異臭がするのに「料理してた?」なんて、まったく失礼な話だと反省する。けれど大量のザワークラウトを思わせる強烈な香りが廊下に漂っていたこともあるわけだし、自然に聞いてしまったのだ。

Gは料理などしていなかった。そして、みんなが騒いでいるところにひょっこり戻ってきた。わたしは安堵して家に入り、消防士たちはGに続いて部屋に吸い込まれていった。けれどきっと、なにも見つからなかったと思う。いつの間にか喧騒が消えて、廊下は静かになったから。

少しして買い物へゆくのに廊下へ出てみたら、例の匂いはなくなっていた。ああ、と思う。あの数分のあいだに、きっとGはなにかを捨ててきたのだ。なにかはわからない、あまり知りたくない。でも最近ガーデニングに凝っているらしいから、部屋のなかで、堆肥とか、おそらくたぶん、そういうものでありますように。