誰にでも「Bad Day」があるとしたら、昨日はおそらくそれだった。そこに居合わせた誰もが「なんか今日ついてないな」と思ったーとしてもおかしくなかった。内田光子が弾くのは、1820年から1822年にかけて書かれたベートーヴェン最後の3つのピアノソナタである。4月5日のロンドンを皮切りにして、彼女はひと月のあいだ、このソナタのリサイタルでヨーロッパ6都市を巡る。ベルリンは4つめ(ちょうど弾きこなれたころ)の訪問地で、いずれも一夜限りの独演会である。
けれど昨晩、ベルリンは寒すぎたのだ。携帯いわく気温9℃で体感温度6℃。省エネのためにベルリン・フィルはほとんど空調を稼働しない。ベルリンらしいよきアクションである。と同時に「外気にさらされたホールをすっかり冷えた箱にする」アクションでもある。すこし遅い登場のあと、ピアニストはいつになく長く椅子に腰掛けて、両手の指をていねいにさすりあっていた。なにか、へんな予感がする。
アンドラーシュ・シフの収録演奏(CD)に、わたしはすっかり甘やかされてしまっていたのだろうか。聴き親しんだピアノソナタ第30番は、印象的なメロディから滑りだす。きっと星が転がったらそんな音がするにちがいない、透明感のある繊細なメロディから楽曲がはじまるのだ。けれど内田光子のライブ演奏は、すっかり異なるようすで走りはじめた。霧のように重たくて、砂に足跡がつくような音色だった。ペダルのこまやかな踏み込みによって、高音の延びやかさはかなり抑制されていた。ロンドンの灰色の空の下で長く暮らすとそうなるのだろうか?と考える。また即興的に変化するテンポは、シフの音に馴らされたわたしの耳を驚かせた。これは彼女の新しい解釈だろうか?と考えた。それにしても、と思う。途中で威勢のよい咳をする人が多すぎる。うっすらとしたビープ音が何十秒も鳴りやまないし、誰かを注意するセキュリティの注意の声が上階から落ちてきて演奏の邪魔をするなんて・・こんなことははじめてだ。
妙な緊張感がポジティヴな方向へコトを動かしたのか、休憩をはさんでのソナタ第32番には吸い込まれた。演奏を通底する重さがここへ来て楽曲にカチリとはまって、ベートーヴェンそのひとの演奏をリアルに再現しているかのような錯覚をもった。息をひそめる表情で、そっとそっと扉を閉めるように演奏を終えようとするピアニスト。わたしの呼吸も浅くなりそうなほどに続いた神聖な間は、しかし1人の早すぎる拍手で呆気なく打ち切られることになる。
ただ、今日はついていなかったのだ。その拍手のひとも含めて全員が。
といっても救世主はいるものである。ついていない日は、ルーティーンが気分をリセットしてくれる。コンサート帰りのベルリン名物カリー・ヴルスト(ケチャップ漬けソーセージにひと匙のカレー粉添え)に、心からのお礼を言いたい。