開かれたまま:フランツ・カフカ『訴訟(審判)』における解釈学的場面
もしも物語というものが、文字通り「何かを語る」ものであって、最終的に主人公と読者は「何かをわかる」あるいは「わかる予感」をもって終わるものだとしたら、カフカの『訴訟』はこれに当たらない。といって小説が無口なわけでもない。おしゃべりなのに、肝心の主題については沈黙が残るのだ。一体何の話だった?何が言いたかったの?ー本当のところ、わからない。カフカのテキストは「わかりたい何か」や「伝えたい何か」を描かない。ただ解釈学的なパズルのように作用する。理解や解釈の問題そのものが物語を進行させ、また形作るのだ。この小説においては、言葉によって人間が「伝えられない」「わからない」、「わかりあえない」限界値が透けてみえるものの、「逮捕」や「法」はその言葉自身の持つ支配的な力で人間を「わからせる」。はたして「どのようにして理解は可能になるのか?」ーこのハンス・ゲオルグ・ガダマーの問いを開いたまま、本論文は『訴訟』第1章と第9章に絞って考察を試みるものである。
09/2022
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