なにかと型どおりを嫌うくせに、押し付けられるどころか自ら進んでその中にすっぽりおさまってしまう型があるとしたら、ひとつだけ。「夜型」である。といって夜に遊ぶでもなく(できれば家でおっとりしてたい)、徹夜もしないし(しない主義)、もともと低いわたしの声は夜ならもっと低くなる(覇気のなさまで加速する)。
けれど、どうだろう。1日の終わり、枕にアタマを乗せてしおらしく「おやすみなさい」となった時、その日一番のやる気が湧き出してくるのだ。「あれもやろう、これもやろう」と未来に開かれた気合いに満ちて、健全な血流のなかで眠りに落ちる。こうも言えなくもない。ーわたしね、「よし!」の静かな決意とともに夢に向かって旅立つんです。
しばらく追いかけるカフカは「目覚めの瞬間がいちばん危険」というようなことを言ったけれど、危ないのはほんとう。というのも起きたらすぐに、昨日まで連続していたはずの「わたし」を探さなくてはならないのだから。H譲りのスーパー低血圧で(いつも言い訳になってくれる)、意識と体が立ち上がるのにびっくりするほど時間が掛かる。昔使っていたパソコンみたいに。
それでもわたしは「満足にわたしが始まらない」ままでも、たった数時間しか過去じゃない過去が、やっぱり確かに過ぎ去ってしまった遠い場所だとわかっている。きっと、たいして難しいことではないのかも。それでも、昨晩わたし中を駆け巡った新鮮な気合いを見つけ出すのは、見つけて捕まえるのは、そんなに簡単なことでもなさそうだ。
午前中には「朝型だったらなぁ」なんてうそぶいたり、ちょっと自分を憐んだりしてみていても、1日の方はさっさと行進していく。対角するアパートの向こうの空が、フラミンゴのグラデーションに染まった。例の気合いも尻尾が見えている。「それなら走って追いついて、捕まえなさいよ」と声が刺さった。HかRかほかの誰か(あの低音ならわたしもあり得る)、それとも全員か。
いつだったかRに「幸運の女神には前髪しかない」と言われて、髪型を調べたことを思い出した。
A型、小型、自由型、どちらかと言えばドンキホーテよりもハムレット型、そして、夜型。