ベルリンの二月は映画祭一色になる。なにも大袈裟に言うのじゃなくて、本当にソレしかない。ほとんど夜の灰色の街で、映画祭は一筋の光になる。近づくにつれて、街なかのバス停や円筒形の野外広告塔に熊のポスターをぽつぽつと見かけるようになって、それで「はい、金熊の季節ね」と脳内の一隅にぱちっと明かりが点灯する。
政治色が強いのは有名だけれど、それはオモテの話で、本当は「祭りでもなきゃ、この街の二月は越せたもんじゃない」というベルリナーの策略ではないか。映画祭はきっと、濃い暗闇に対抗する人たちの知恵なのだ。ここにはカンヌの白い陽の下で眩しいフォトコールに応えるセレブリティはいないし、ヴェネツィアみたいな、欧州の夏の終わり独特の気だるさにマッチする朱色の艶っぽさもない。けれどその「なさ」がベルリンらしくて悪くない。
この時期になると元同僚の映画関係者たちがそろって東京からやって来て、なにもない灰色の街を見て帰る。もちろんビジネスはあって、映画祭と同時に開かれるヨーロピアン・フィルム・マーケットで他所の国でつくられた映画の権利を買ったり、自分の所の作品を売り込んだりする。かつてベルリンの壁があった真横の建物の中で、サイズ違いのブースを設けて商談をする。
一年に一度会う彼らは柔らかな色の薄いウールコートを着て現れて、トーキョーを運んでくれる。住んでないのにこっちの話題のレストランを教えてくれる。わたしはいつも黒いミシュランマンみたいにダウンコートで着ぶくれて、かれこれ十月からこの装い、二月はそろそろ見た目も心も限界点にほど近い。そんなわけで再会は解毒、というか単純にフロイデ(よころび)になる。
今年はめずらしく日本映画を観に行った。数年前にはチケット売り場が近所の大通りにあったのに、いまはすべてがオンライン。しかもかなりの速さで売り切れた。おかしい。ベルリナーにそんな素早いアクションは無理だろうし、いまどきチケットがすべて自由席なんて。仕方がないから当日余裕をもって歩いて向かうと、すでに劇場から長蛇の列がずるっとはみ出していた。若い女の子たちとレモン色の声が弾ける。主演俳優が人気アイドルらしい。「そういうことね」、納得しながら、ひととき日本の流行りについて遠い目を向けたものの、並んだ列の不可解さが気になってどうにも気持ちが覚めてしまった。
その1949年開業の映画館の入口には双子のドアが並んでいて、人の列はなぜか右の方にだけ吸い込まれている。最後尾で「これは入場待ちの列ですか?」と聞いてみたら「ヤーヤー!」と力強く頷かれたので、その人の後ろに立つことにした。もしかしたら間違って「太陽はひとつですか?」と聞いたかもしれない。
そのうち人のいない左のドアが気になって、わたしは観察のため列を離れた。のぞいてみると、左も右も関係ない。ドアの先には同じ一つのホールがあって、一人のアイドルを待つ高揚感で満杯だった。チケット・カウンターに暇そうで眠そうな女性が二人立っていたので、中に入って聞いてみる。「列をつくって皆さん待ってるんですか?遅れてるけど開場はいつ?」「いいえ、とくに列っていうんじゃない。開場?もうすぐのはず。それよりこの彼女たちね、二時間半も前からここで待ってるの、すごいわ!」
エントランスを出たら、外はもうただの人の群れに変わって、蛇の列は消えていた。それにしても、この混乱をまったく収拾する気のない呑気な劇場スタッフと、列かどうかもよくわからない列に自信たっぷりに並ぶベルリナー、それに続くわたしたち。これがもしも東京なら、スタッフは看板を持ち整列の声を掛けて、来た人たちは自分が正しい場所にいるのか気にするのだろうか。ここではみんな疑いもせずになんとなく立ち止まって、待って、見えない先など心配せずにタバコの煙を吐きながら談笑する。とても、ベルリン。
そういうことを(ときどき引きつり気味に)可笑しく受けとめられるのは、この街の空気を吸い込みすぎたせいかもしれない。たいていほとんど寛容で、というか気にしないで受け流し、不寛容であることにだけ不寛容な人たちに囲まれて。
それともいま、わたしが六月の光の中に暮らすせい。二十二時近くても太陽に追いつけそうなこの季節は、二月の灰色を笑い話に変えてくれる。
*ドイツ語文学振興会・機関誌「ひろの64号」(2024年10月)寄稿*