飛行機で世界をとびまわる人たちは、みんなほんとうに帰って来れているんだろうか。いまわたしは秋(ほとんど冬)のベルリンにいるけれど、気持ちの欠片はまだ夏の東京でもたもたしている。時差ボケは体のピントが合わないことじゃなくて、どちらかといえば心の問題なのかもしれない。
ある日曜日の朝、大陸を越えてようやくたどり着いた部屋のトイレが壊れていることを発見したりすれば、ショックはなおさら深い。石灰成分を多く含んだ硬いベルリンの水はね、やっぱりこまめに流してあげなくちゃ。翌日修理にやって来たハウスマイスターは、白いヒゲのなかから笑顔で告げた。それから「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり。とにかく落ち着いたらなんとかなるものだよ」と、ふたつの大きな手のひらを返してみせた。
だってこれは、落ち着けないでしょう?ー差し出された空っぽの両手を意地悪な気持ちでちらっと見たけれど、トイレなしで丸一日を乗り切ったわたしは幸い昨日より大人だった。すぐに駆けつけてくれたことへのお礼を二、三度重ねて、彼をエレベーターまで見送る。非常事態を救ってくれた上階のMにも「直ったよ」と感謝を伝えた。すると「おお、今日のD氏はまさかの完璧な仕事ぶり!」なんて返ってくる。そう、なにごとも一度で直らないのが常識のベルリン・クオリティを考えれば、最高によくできた一日だ。
なんてツイてるのだろうと思う。自由にバスルームだって使えるのだ。幸福。D氏の手のひらに乗っかっていた「なにか」に気づかなかったのは、わたしの足りなさのせい。でもそうしていろいろ柔軟に吸収できるのも、足らない部分があるからだろう。
さて、時差ボケはほとんど解消、最後尾の心もよろよろと帰ってきた。大丈夫。部屋の暖房が機能不全で薄ら寒いけれど、きっとなんとかなる。まだ本番の冬まですこしあるから。なんとかなる。ほんとうにそう願うだけ。
ここに、戻ってきた。