この街で荷物が届かないのは驚かない。目当ての日に一日中家で待機して、玄関のベルはリンともスンとも鳴らなかったのに「あなた不在で残念だけど配達できませんでした」と通知される。でもその知らせを受ける時、たいてい配達員はウチに来ていない。ノールックでパケットショップにパスされているのだ、本当に残念だけど。訪ねて来なかった人から「不在だ」と言われるネジれた感じがベルリンらしくて、嫌いじゃない。もしかしたらやるせなさの裏返しで、心がポジティヴに動いてるだけかもしれなくても。
それでも裏返りようのない失望もある。届けてもらえなかった荷物を引き取りに行って、目の前にそれがあるのに受け取らせてもらえなかった時のこと。火曜日のR。パスポートの名前が荷物の宛名と違う、そういう理由だった。たしかに名前は短縮されたものだったけど、作家名だし、届くはずだったスタジオの表札にはその名前が書かれている。
それに苗字は一緒、名前だって途中まで一緒、名刺もインボイスもあるし、Webサイトを見たら本人だって照合できる。なんならベルリンでその苗字は他にいない可能性すらある。でもダメだった。粘ってもお願いしてもダメ、「Keine Diskussion(話し合うようなことじゃない)」決定事項なのだと郵便局員は突っぱねた。それから「早く!その荷物を裏に隠してしまいなさい!!」と同僚に指示を飛ばした。購入した荷物は彼女に奪われてしまった。発送元の画材屋に送り返されるという。
人の悪意ほど避けられなくて、出会うと嫌なものはない。応対の仕様は他にもあったろうし、解決策だってあった。でも肝心の気持ちがない場合、どうにもならない。向こうにあるのが「絶対この相手には荷物を渡さない」という、ほとんど敵意の場合はなおさらである。この「相手」なのか、この「外国人」なのか、わからないけれど。
いつのまにか郵便局員の使命は「待っている人に荷物を届ける」ことじゃなくて、「間違った人に荷物を届けない」ことにすり替わってしまったらしい。「これはルールだから」と呪文みたいに繰り返して、いつのまにか見失って裏返ってる。
あなたの行為で、誰が幸せになるの?誰のため?何のため?Rもお店も配達員も、関わった全員が損するだけなのに。「ルールのためよ」、正しさに溢れた声が聞こえた。そういう色合いの人をときどき見かける。
この夏のEURO2024(UEFA欧州選手権)でのこと。トルコ代表監督がチームバスから降りてそのままスタジアムに入ろうとしたら、セキュリティが監督の行く手を阻んだ。首からIDをかけてなかったから。目の前でチームバスから降りてきたのに。セキュリティは本来「危険な人をスタジアムに入れない」のが目的のはずだけれど、ルールに囚われすぎて「資格のある人をスタジアムに入れる」仕事に成り変わってしまったのだろう。しかもその資格、プラスチックのIDでしか測れないらしい。
わたしはどちらかというと、決まり事はてきとうに横目で見てきた柔らかな(崩れた)人生で、それはそれで悪くなかったのかもしれない。郵便局の失望は大きいけれど、考えるキッカケをもらったと思えばいい。それに異邦人として暮らしていると、多かれ少なかれこういうことに出くわすのは避けられない。「ここのルールに従わないなら出て行け」そう考えている大人が、5人に1人はいるのだから。
ほんとうは怒ってる、とても。だから落ち込んでいる暇なんてない。ポジティヴに裏返るしかない。
「Ich liebe Deutschland!」