いつかどこかで、わたしがもっと若かったり子どもだったりしたころに、きっとちいさなよいことをしたのかもしれない。そうでなかったら、金曜日のスーパーマーケットでふつうの大人がマンゴーアイスをタダでもらえるはずがない。
ちょっと先の親子の声が届くくらいに15時の店内は空いていた。弾むフランス語のほうへ視線を送ると、群青のリュックにひげメガネのお父さんと2人の息子がカラフルな輪になっている。おそらくの8歳は、赤いパンツの右足にギブスをはめて松葉杖だからおとなしい。4歳くらいのレモン色パーカーは、落ちつきなく体を揺らして父親に諭されている。兄の事情を察するには小さすぎるし、気温はとつぜん春と夏のあいだなのだ。わたしだって色々はしゃぎたくなる。
とはいえ大人だし、こちらはそうもいかない。左手にスペイン産のオレンジをひとつ、選抜を勝ち抜いたテラコッタ色の卵を10個入れた紙パックを右手に持ってレジに向かった。まるで鷲づかみの両手ーよりによってこんな日に、なんてエレガントじゃないんだろう。カゴを持たなかったことを悔やんでもいまさらだから、足を急がせるしかない。
レジには珍しく誰もいなかった。ベルトコンベアは客を迎えに来たハイヤーみたいに静かに停まっていて、オレンジと卵を乗せるとすうっと動きだした。わたしはレジのおねえさんにハロー!を言って、いつものようにハロー返しを心待つ。
ところが(大した期待じゃないから裏切られないということもないらしく)返ってきたのは2つのハロー!だった。同時に男性の手がまっすぐ伸びてきて、わたしの前に袋入りのマンゴーアイスが差し出される。「これ、アイス、どうかもらってくれませんか?たくさん買いすぎちゃったんです!」フランス語なまりのドイツ語はキュートで人がよさそうで威力抜群だ。一瞬の動揺は即座に散って、わたしは「ナチューリッヒ!(もちろん!)」と宣言してしまう。
緊張して声が大きくなったかもしれない。寸劇を見守っていたレジのおねえさんも吹き出して、わたしたちは目を合わせて笑った。輪になって親子が談義していたのは、このことだったのだ。弟が体をゆすって食べたがったのは4本入りのマンゴーアイスで、願いを叶えた父は余分の1本を誰かにおすそわけする力技に出たのだろう。
わたしはオレンジと卵の会計を済ませると、入り口近くのカウンターでアイスを頬張る3人組にもう一度お礼を伝えた。「喜んでもらえてよかった!今日の天気、そういう日でしょう?」父親はメガネの奥の目をもっと細めて笑顔で応えて、ごそごそする弟の頭に手を置きながら中腰でわたしを見送った。
暑くてアイスが溶けそうだけど、わたしは家まで我慢する。ーちょっと大人ぶった?かもしれない。あの場で食べたらよかった?かもしれない。でも大丈夫、早歩きなら5分で着きそう。それよりお父さん、冴えてるね。今日の天気ほんと、そういう日だよ。