教会のメロディー

白濁の道をお尻を振りながら教会に向かった。雪仕様に整備されていない黒のトヨタ・カローラは、道を曲がるたびに横滑りしている。後部座席のわたしたちはそのたび「いま滑ったね」と早口小声で確認し合った。さすがにドライバーもすこしは気にしてるでしょう、と考えるのはこちらの勝手で、彼は人気のない住宅街を減速もそこそこに駆け滑る。もしも気にして欲しいなら、真正面から「雪、危ないので気にしてください!」と言わなくてはだめだ。それがここの鉄則なのだ。

なんとなく気弱になったのは、その地域をまったく知らなかったから。それに数日前から居座る雪だ。歩道は片栗粉の絨毯になって、人を家に閉じ込めてしまった。光を含んでいた雪片も、五日もすればずず黒くなるからときめかない。窓越しに見えるのは無人と三角の屋根ばかりで、時折クロールの息継ぎみたいに必然のタイミングで箱型の家が現れた。

ディテールが雪に覆われてわからない。さっきから同じところをぐるぐる回っている気がする。確かなことは、そこがベルリンの深い南で、かつては壁が近くにあったということだ。するといきなり家々が消えて、両側の歩道が開けた。教会の前だった。

教会は象牙色の四角い箱で、そこだけやけに雪が白い。内装はいかにもプロテスタントの簡素な落ち着きようで、説教台より脇に寄せられたグランドピアノに目がとまる。神に祈り赦しを請うたりするよりも、市民が同じ体温に溶けて話を聞き合うような場所だった。そこで行われるリコーダーの演奏会に、わたしたちは招待されている。

ちなみに、リコーダーといってもプラスティックのあれではない。飴色の木製で、お囃子の笛みたいなのからファゴットくらい大きなものまである。上から下まで音域を合わせると広大で、圧と響きをすっかり掠めたあとのパイプオルガンと言えなくもない。バッハとアイルランド民謡との相性もなかなかだ。

演奏メンバーは全員が女性で、その教会に通っているとか、近くに住んでいるのだろう。かなりの先輩から、わたしより若い人もちら、くらいいた。チークの丸く張った春の朝みたいな先生が、週二回の練習で楽団をまとめている。生徒のソロ演目は先生とのデュエットで、ふたりが目を合わせ体を揺らしてリズムをとる姿はやさしかった。

客席はほとんど家族、まれに近しい友人といったふうで、教会の中は極寒なのに温かい。世の中の悪意はすべてつくり話だろうか?前髪の一部を青く染めたショートカットのメンバーがいて、夫と一緒にお嬢さんも応援に来ている。やっぱり彼女もショートカットで、同じように前髪の一部を青く染めていた。愛だった。

ところで、その夕方の演奏リストには日本の三曲が含まれていた。赤とんぼ、故郷、いつもどこでも。歌詞はあやしいものの、十五で嫁にいく姐やとおいしい兎の記憶は明るい。なによりメロディは終わりまで知っている。赤とんぼの作曲家の山田耕作が(100年以上前に)ベルリンで学んでいたことはそのとき知った。

思い掛けないことは他にもあって、途中から泣いてしまった。虫も捕まえないし、山や川もとりたてて好まずに生きてきたから、涙のわけを考える。家に帰って歌詞を調べた。うんうん、と読むのだけれどもグッとは来ない。歌詞の意味や込められた想いに感化されたのではなかったらしい。

ここで暮らしてから思う。「言葉も人も習慣も、出会いはぜんぶ新しい。新しいから知らないのも仕方ない、違和感もある、たまに(かなり)怒る。でもわからなくてもそれに触れて、ハイブリッドに変わるれのなら悪くない、きっと面白い。」ニュートラルな位置に立って暮らしを楽しむための重心みたいなもの。そのわたしの真ん中が、滅多に出くわすことのない「どうしようもなく知っている」という事態にショックを受けたのだ。頭で理解したり心で受けとめる間もなくメロディーが耳から侵入して、一番近くの目が過剰反応したのだろう。でも鼻じゃなくて助かった。それにしても、脳の動きはいつもどこでも、思ったより遅い。

なんとなくかなり気弱になったのは、むしろ知っていたからだった。もしくは「ただ(ほんとうに)弱っていただけ」かもしれない。黒のトヨタ・カローラを思い出す。わたしの車酔いは、かなりひどい。

心温まるコンサートに招待してくださった、Fさんに感謝。