『君たちはどう生きるか』

土曜日の21時。宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』(日本語・ドイツ語字幕付)。歩いて映画館に着くと、もう外まで人が溢れていた。右手にビール、左手は煙草。こんな零下の夜によく平気ねと思う。賑わいをすり抜けて中に入ると、今度はニット帽がUの字に並んでいた。ドリンクとポップコーンの列だった。ベルリンでこんな時間の映画館へ来たのははじめてで、眠らない夜があるのを思い出す。この街の週末には、バスも地下鉄も24時間走るのだ。

わたしたちもニット帽で、やっぱりU字の列に並んだ。ビールと炭酸水と塩味のポップコーンが必要だ。まだ上映まで20分もあるし、慌てることもないだろう。それにしてもいったい若者は何を観にきたのだろうと考える。壁一面の「公開中」映画ポスターを観察していたら、いつのまにかわたしがポップコーンのサイズを答える番だった。

まだ早いけれど、取っていた最後方の二席におさまる。生ぬるいビールをぼやく声が真横から聞こえた。少しずつ人が着席しはじめたところで、Rがちいさく声を出す。「あの赤いダウンジャケット、さっきズルしようとしてた。」列を無視して、ここから買えないかとカウンターに直接2回たずねて、2回断られていたらしい。

こちらで暮らすようになってから、時々そういうズルい人を見かける。そしてそれと同じくらい、ズルさを断固として注意する人がいる。赤ダウンからしたら、聞いてみるのは権利くらいに考えているかもしれない。ダメなら断られるのだからズルくもなくフェアな行為だと。不思議な理屈のように思うのだけど、それでも「理屈だったら一応あり」みたいな意識がなくもない国なのだ。

人がひっきりなしに流れ込んでくる。上映直後の暗がりに滑りこみ、携帯の明かりで空席を探す人もいた。いつのまにか館内はほとんど満席になった。

わたしたちは色々と完全にアウェーの状況だったけれど、この映画を鑑賞することにおいてはきっと核心に近くいた。なにしろ最初に出現した青光りするロゴを「とうほう」と読めるのは、そんなに多くはなかったように思うから。

映画の舞台は、太平洋戦争末期の日本。11歳の少年眞人(まひと)は入院中の母を病院の火災で亡くし、父とともに疎開先の鷺沼へ向かうことになる。出迎えに現れた母の妹・夏子は、父との子どもをおなかに宿していた。心を閉ざす眞人が目に留めたのは屋敷に居つく青サギで、なぜか執拗に少年へ近づいてくるのだった。

ここまで、かなりこまかくリアルな描写が続く。いつもの宮崎作品なら、とっくになにかが起きている。今回はなかなか簡単に始まらないらしい。あるいはその動きそうもない現実の重さを梃子にして、少年をそこからより遠くへ飛ばそうとする意図が監督にはあったのかもしれない。

青サギが言葉を発して眞人を異界へ誘いこむと、物語は一気に加速する。断片的なシーンばかりが展開されるなかで、ひと口に「異界」といってもつぎはぎだらけであることがわかってくる。そもそも鳥を着た人間なのか、人間を丸呑みした鳥なのかー存在自体、不確かな青サギである。敵か味方かもわからないし、悪でも正義もない。それは少年とともに、ただ異界を駆け抜ける。

そして眞人自身もまた、自傷して嘘をつく悪意もあれば死したものを弔う善き心を持っている。主人公も伴走者も、どちらでもなくてどちらでもある、生きものリアルを抱えて存在しているのだ。

ところで、この映画はいっさいプロモーションをしないということで話題になったけれど、「しない」のではなく「できなかった」のではと思った。なにしろ描かれる世界はまとまりがなくて、物語を牽引するような一貫した筋、つまり時間的に連なって起こる出来事がないのである。

たとえば『千と千尋の神隠し』で、千尋はあの湯屋にほんとうに行って、お風呂を掃除したんだろうと思った。けれど今作はその感触が極めて薄い。とりわけ眞人を狙うカラフルなインコたちが道具を持って無害に行進するさまなんかは、てんとう虫がサンバを踊るように、嘘みたいにフィクションで必要以上にアニメーションだった。

もちろん映画であって、アニメ作品であるのだから、ほんとうのことなど存在しようもない。登場人物の姿かたちや設定だってリアルからは遠い。これまでの作品ではそれでも、怒りと希望をもって、リアルの端まで迫ろうとする宮崎駿の熱烈な意志があったように思う。作品にはそれぞれ精巧に完結した世界が創造され、現実と似た時間軸をもって起こるべきことが起こり、物語は進むように描写されていた。

本作品には、そのような世界と物語は用意されていない。千尋さながら迷い込む眞人の異界は、大人の宮崎駿が創りあげたものではなく、おそらく11歳の子供がつくりだしたものなのだ。それはきれぎれだけれど繋がることのできる世界、粗削りでも変化し続ける未来に開かれたまた別の世界だ。だからインコの脅威も11歳相応の可愛らしい程度のものになったのだろうし、少女が火の使い手なのは母への渇かない愛ゆえだ。本を読みすぎて頭の狂った大叔父が言っていた、「これからは眞人が世界を創るのだ。」

果たして大人は世界をつくれなくなってしまったのだろうか。つくるべきではないのだろうか、今の世界がこんなにもまともではないのだから。大人のつくった世界をなぞらなくていい、大人のつくった知を信用しなくていい。世界は君たちがつくる。その世界で生き抜いて、やっぱり君も大人になる。

「君たちはどう生きるか」ーその問いかけに尽きる映画だった。そして常にスタイルを進化させる宮崎駿に感服する。裏山にタヌキのお化けがでてくることは、もうないのだろう。

『君たちはどう生きるか』 / “The Boy and the Heron” (2023) / Directed by Hayao Miyazaki