ある日のパリ

ラグビーのワールド・カップがあるからなのか、いつもより街は混んでいた。街の中心にあるコンコルド広場周辺はパブリック・ビューイングの会場が設置されていて、車は迂回を迫られる。パリのドライバーが忍耐強くてセーフティ・ファーストだったことは、きっと過去に一度もない。

わかっていたのだから、あの夜はタクシーなんてやめておけばよかった。それでも2万歩近く石畳を踏んだせいで、踵が痛んだ。昼間に徘徊した通りは工事中じゃないところはないくらいで、二人並んで歩くのも人とすれ違うこともできない。黒いスニーカーは歩道と道路を蛇行しながらせっせと埃を拾いあげて、仕上げにルーヴルを臨むカルーゼル広場のさらさらの土で真っ白になった。大好きな街だけどぼろぼろ、わたしそろそろ疲れちゃった、とこぼしたのは靴も履き主もほぼ同時だった。

4人で左岸から乗り込んだタクシーは、3分もしないうちに右岸の入り口で渋滞にはまった。レストランから遥か手前。わたしたちの黒いワゴンの横を、たくさんの歩行者と自転車が切れ目なく追い越していく。ほんと車っておろかね、と車の中で思いながら、窓から観察をする。パリだけあって華やいだお洒落が多い。驚かないけど、誰もヤッケ(ドイツ風)なんて着ない。絶妙な隙で愛らしさを醸すパリジェンヌから髪をセットしたゴールドなマダムまで、何気なく羽織ったジャケットが素敵だ。

でもそんな彼らも、靴には白い粉がふく。あー、これが現実よね、共感するわたしを乗せて、タクシーは隙あらば小さなスペースめがけて圧倒的な意志で前へにじり寄る。どことなく、ラグビー。クラクションの応酬に目線を飛ばせば、派手なトゥクトゥクが割り込んでいた(こんなのいつから走ってるんだろう・・)。そこへ救急車がサイレンとパッシングで突っ込んでくる。けれど救急車とて入り込む余地がないのは明らかだった。この街ではとにかく健康第一と身を引き締める。同時にドライバーが窓を開けて叫んだ。レンタル自転車に乗った旅行者の集団が、進まない車列を強引に割って横断しようとしているからだ。

信号はあってないようなもので、車線もあってないみたいだ。理性くらいはあって欲しいと願っていたら、「もうこんなカオス!まったく信じられないよ!」とドライバーの声が車内に響いた。そういう彼だって無理に変わりかけの青信号を突き進んだから、いま反対車線のなかにいる。逆走状態だ。文句で火のついた対向車に「どうにも仕方ないんだよ!申し訳ないけど!ちょっと待って!ここ通させて!!」と窓から首を突き出し交渉している。

街はカオスだった。顔つきが微妙によそよそしくなったような気がする。人口密度が高くてツーリストの溢れるかの観光立国の行く末を思って、少しだけ暗い気持ちになった。

ドライバーは窓越し交渉の達人だったらしく、20分ほどで渋滞から抜け出すことができた。そんなに遠くなかったはずのレストランに気分で息切れして到着して、イタリアンのディナーをはじめる。カオスのあとはなおさら美味しくて嬉しい。お店も料理の魅せ方もパリならではだった、イタリアンだとしても。

帰り道、当然のように夜は暗くて、エッフェル塔の放つ光線だけが橋の上から見えた。わたしは勝手。パリ、やっぱり嫌いじゃない、好きだなと思う。