いつ来るのかはっきり分からないけれど、それが来るときには絶対に万全の状態で迎え出ないとならないことがある。先週の日曜日が一年に一度のその日だった。ベルリン・マラソン。うちから徒歩3分のよく知る大通りを、世界有数のランナーたちが蛍光色のシューズで駆け抜ける。35キロ地点、「いちばん苦しいポイント」といわれる。
わたしはその日、沿道に立って声を張ることになっている。誰に頼まれた仕事でも課された義務でもないのだが、これはもう自ら背負い込んだ使命のようなものだ。例年、まずは大会二日前くらいからリサーチをはじめる。ところが、今年は有力な日本選手の名前にちっともあたらない。どうやらパリ五輪の選考会MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が10月にあるらしいのだ。みながそちらに流れたわけで、順位と記録に絡みそうなのは新谷仁美選手ひとりだった。
少しまえに、「オリンピックには出ない」と彼女が宣言したのを知っていた。歴代2位の記録まで迫った勢いを、メダルには向けない。かわりにベルリンで女子の日本記録更新を狙う。二年前の東京五輪がきっかけとなって、幼い頃に夢見たオリンピックにもう出ないと決めたという。悪い夢が、ほんとうの夢を上書きしてしまったのだ。同時に、悪夢から覚めたのかもしれない、と思った。目にする彼女のトレーニング動画や発言には、どこか重たい空気が漂う。真剣さゆえだろう、驚かない。このベルリンの大会で、彼女の足が解放されることを願った。
男子の世界記録保持者(キプチョゲ)が、はじめに飛び去った。一番苦しい35キロ地点で、彼の顔には悲壮がない。それから男子の有力選手に混じって、背の高い女子選手が走り過ぎた気がした。あとでわかったことだけれど、彼女(アセファ)によって世界記録が2分以上も更新されてしまった。驚くほど体つきがカッシリとして力強く、華奢に感じていた女子マラソンランナーの印象を新しくした。まだ新谷は来ない。遅れている、と思った。
遠視が捉える道の先に、彼女が見えた。ブロンドヘアの細い線、彼女だろうと思った。大きく近づく姿は、やはり新谷だった。通り過ぎる一瞬に名前を呼んで大声を掛けた。「新谷!まだまだここからいけるよ!がんばれ!がんばれ!!」苦しそうだった。苦しくなった。猛スピードで横切るランナーのエネルギーが伝播して、わたしの低い血圧(上が90を超えたことは滅多にない)を一瞬で押し上げ、ほとんど涙が出そうになる。背中からまた大きく「がんばれ!」を飛ばして、応援のベルを鳴らして追いかけた。
いつもは沿道から引き上げるとき、真っ赤に腫れた手のひらをさすりながら帰る。今年は真っ赤なハンドベルを右手に提げて、声はいつもどおり枯らして、手だけはそんなに痛まなかった。
こうして、わたしの9月最終日曜日の使命が終わる。新谷さん、ありがとうございました。