魔法使いとおんなじで、言葉使いというのがいる。たいていの人はふつうの言葉遣いでふつうに話すだけだから、暮らしの脅威にもワンダーにもならない。それでもときどき特別な言葉使いに出会うことがあると、わたしの左耳の先っぽは秒速でパタパタ二回震える。ベルリン語学学校の中級クラスで一緒だったITは、発する言葉で煉瓦造りの家を建てた。
話し方は常に一定のテンポを刻む。声はほどよく低くて、シャツを腕まくりしたいくらいの心地いい生暖かさがある。決して難しい単語を使わずに(知らないから使えないだけなのだが)決して間違えもしない。ドイツ語というのはヘリクツ紳士みたいに小言と注文が多いから、簡単な文章で簡単に躓くことができるのだ。ところが彼はいつだって正しい場所に丁寧に言葉を重ねていって、いつのまにか相手の注意と理解を自分のものにする。建てあげた煉瓦の家には賞賛が沸く。
なぜそんなことが可能なのかと思う、どうして。わたしはあの頃いつも、語学学校から帰ったら荒れていた。むしゃくしゃする、と怒りに隠して弱音が弾ける。言いたいことが言えない。自分の思いもことばも伝わらない。気持ちばかりが転がって、坂の途中に言葉を落としてきたみたいだ。思わずいい歳をいつわって、尾崎豊を聴く夜が積もった。
そんなとき、Rに声をかけられる。「あのさ、日本語だとしても、けっこう話すのヘタだよね?」パタパタと耳先が二回震えた。あれ、確かに。何語であっても、わたしは話すのがウマくない。鍛錬しかないのか、うだうだしている場合では・・ないのか。
しかしそれからだって、言葉の悩みはつきまとう。ときどきわからなくなるのだ。話が通じないのは、言葉が通じないからなのか?それとも言葉が通じたって、話が通じないことはあるのか?言葉が通じなくても、話が通じることはあるのか?ー考えて、悩んで、なんとなく逃げるのは得意なほう。ほんとうは薄っすらと、わかってはいる。