バルコンによく来ては蜜を採集する蜂がいる。2センチ未満、お尻の黒と黄色の縞々が、産まれたてのひよこみたいにフワフワしている。見かけるたびに、思わず「触ったらどんなんだろう」とひっくり返った考えに足を掬われそうになって、しかしやはりなんといっても蜂だけに遠慮しようと正気が顔を出し、伸びそうになった左手を引き戻す。
わたしがバルコンに立つと、蜂は決まって挨拶するみたいに飛んで来る。きっと水遣りの際に、花に手が触れて香りが空に拡がってしまうせいかもしれない。というのも4リットルの赤いジョロはちょっとした重さだし、バルコンの位置はちょっと高すぎるのだ。しなやかな上腕三頭筋とあと15センチくらい高い身長があったなら、わたしはきっとジョロの先から、露の如き繊細な水玉を優雅に降らせることができただろう。
そういう時、Mの声が天から降ってくる。「選択しなかった過去とありえない現在のことは、話したってsinnlos(無意味)なのよ」ー そうかもしれない。でも意味もない、害もない想像は、頭の体操にならないでもない。もちろん現実はきっぱりとしたもので、わたしのコントロールの効かない低い位置からの動作は、花を揺らし、大粒の水を散らし、なんとなくさまにならずに辺りの空気を乱すことになる。
それでもいつも、飛んで来てくれる蜂がいた。わたしはこれを「ハチさん」と敬いときどき呼びかけて、心で可愛がるようになった。姿かたちを検索してみたところ、マルハナバチというらしい。名前まで花丸、大変よくできた蜂もいるものだ、と感心してしまう。
それに驚くほど働きものだ。朝起きて窓の外に目をやればもうバルコンに来ているし、夜やっと涼しくなったからと窓を観音開きにすれば、揺れる花房の影に産毛の背中が見え隠れする。わたしは「ああ、今日はハチさんに働き負けたなあ」と微かに首をかしげ、少し悔しそうな素振りでバルコンの暗がりに声を掛けて1日をたたむ。蜂が人間の言葉を解さない生きものでよかった。「今日も、でしょうか?」と正されてしまったら、人としてかっこうがつかない。
しかし最近、バルコンには誰も、何も飛んで来ない。強風ばかり通り過ぎる。仕方がない。そろそろ八月が終わるのだ。気温も落ちてきた。「枯れたかなと思ってたパープルの小薔薇のつぼみ、週末からまた一気に咲き出したよ。すごい勢いで、ほんと綺麗だよ。」人間の言葉は風に乗るだろうか。