ある晴れた日の早い夕方、ふっくらより随分ふっくら気味のパグ犬が、自分の頭くらいの大きさの何かを口に咥えてゆさゆさと歩いていた。犬はリードには繋がれておらず、少し前を似たような姿のマダムが散歩していて、間違いなく飼い主だった。パグより先に進みながら、パグより遠くへ行き過ぎないようにしている。忘れたころに時折立ち止まり、後ろを振り返っては相棒との距離を確かめていた。
すれ違ったショートカットの女性がわざわざ立ち止まって、微笑みかけた。わたしにでなく、パグに。ベルリンのよい光景のひとつである。しかしそのときいつもと違うことがあった。女性の顔が、微笑みよりも明らかに派手に笑っていたのだ。ついわたしもまじまじとパグを観察してしまう。こんなとき極度の遠視は頼りになる。たしかに歩きっぷりは愛らしい。この犬は胴の幅と足の短さのアンバランスのせいで、ぴっぴっと前に四肢を出すことができない。前進というよりは、ただ足踏みして横に揺れているみたいだ。ほんの1メートル進むにも、これではかなりの時間がかかるだろう。しかも口に咥えた真っ赤な何かは、ちょっと不釣り合いに大きすぎるし重そうだ。そこで、ようやく気がついた。パグが咥えていたのは、ケースに収納されるタイプの犬用リードであった。我が自由を奪うリードを、しかもそのときの散歩では不要扱いのリードを、ご丁寧に、我が子のように大切に口でささえもって、行進していたのである。わたしはもう一度パグを凝視した。その足踏みは鈍重ではあるけれど、律儀で正確なリズムを刻んでいる。黒い瞳はどこまでもつやつやと濡れて輝き、ただまっすぐに我が道を見据えている、ように見えた。
よくわからない状況に出会ってしまって、笑うしかないときがある。微笑むつもりで立ち止まったショートカットの女性に同意したい。わたしもやはりパグとすれ違うときには立ち止まって(しかし笑いはコントロールして微笑みにとどめ)、そのお尻がすこし遠くへ離れるまで見送った。もしもすべてを承知したうえで、あのパグ犬は自分のリードを咥えていたのだとしたら?ー無いような気はするけれど有るかもしれないパグの奥深い可能性を気にしながら、わたしは家までのまっすぐな道を小走りに急いだ。