ベスト16。久しぶりのフットボール観戦、自宅にて。ワールドカップ以来(これももちろん自宅観戦)のせいか、その均整のとれた試合運びに「日常」が戻ってきたのを感じる。
両チームともに「共通の約束事を知っている」かのような、とはいえ試合の局所や要所で驚きやダイナミズムは起こるのだけど、そこには何かひとつの前提のうえに立っている「安心感のようなもの」が漂っている。文字通り同じ競技をしているのだ。ワールドカップだとそうはいかない。異なるものの生む摩擦やザワつきが、熱狂を生む。よく言われるように、こちらでは代表チームよりも「おらが街のクラブチーム」に対する熱量が半端ではない。サポーターにしてみたら、自分たちの暮らしに根付いた日常にこそ注ぐべき愛があると言うかもしれない。しかしその場合、ザワついた非日常はなんの対象になるのだろう。軽視、無視、敵視、おかし?などなどうだうだ考えていたら、ドルトムント21歳の鮮やかなバク宙が私の目を覚ましてくれた。ひとつの肉体がまとまらない思考を簡単に超えることは、よくある気がする。