7時26分発の電車に乗る。中央駅まで「普通にいけば」うちから20分と掛からない。それでも前日の夜、わたしはリビングのメモに「6:30出発」と大きく書いた。「うまくいく」なんて踊り出したいくらいのしあわせ、たいてい「普通にいかない」のがこの街の普通なのだ。
この頃のベルリンは日のはじまりと終わりが同じくらいに暗くて、それが朝だとわかるのは、駅に向かうわたしとすれ違う人が極端に少ないからだ。服はくたびれていても焦点の合った鋭い目つき。おだやかなグレーのパンツルックに崩れも隙もない冷たい厚化粧。「これまで」仕事だったのか「これから」なのか、わからない。彼らには独特の境界の匂いがした。
そんなふうに感じたのは、とつぜんの旅にわたし自身すこし緊張していたせいだろうか。目的地はDeutsches Literaturarchiv Marbachで、詩人シラーの生誕した南ドイツの町にある。そのミュージアムで開催していた「Kafkas Echo」に滑り込むためだった。
「日曜まで開催」の情報を思い掛けずその週の月曜に知って、水曜の朝ベルリンからシュトゥットガルト中央駅まで特急列車(ICE)で向かった。その距離を走るのに6時間、そこから永遠に終わらない大規模工事中の駅を15分かけて移動して、ローカル電車に乗り換え30分。マールバッハに着くころには、ほとんど午後の3時だった。
しかも恐ろしいことに、ICEの4時間半はずっと後ろ向きだった。心の話じゃない。ドイツの特急列車は、座席が車両中央で向かい合うよう配置されている。しかもチケットを買うとき進行方向がわからない。最終的には運まかせで当日を迎えるのだけど、車両交換で椅子取りゲームなみに「好きなとこ座って!」となる場合もある。
フリースタイルはわるくない。あるいはひょっとして、ICEは目指すべき理念を暗示しているのか。とにかく新幹線のように皆で同じ方を向いて進まないし、停まる駅は妙に多いし(街の格や大小を忖度しない)、システムが決めたことを守らない。1時間なんて平気で遅れたりする。そんな電車の移動はなかなかの冒険で、途中何度か「飛ぶほうがよかったのかも」と心細くなった。
開館時間内に無事に着けるか心配になってくる。こだまくらい遅い、のぞみなしかもしれない。目的地はたいてい思っていたより遠いのだ。空腹なのに乗りもの酔いで食べられず、喉が渇いたけど、逆流がこわくて怯えながらエビアンをすすった。そんなとき斜め前の人が足下のリュックサックからおやつを出して、食べはじめた。ビビッドなオレンジ色が眩しい、美味しそうな人参だった。
咄嗟に思っ(てしまっ)たー「わたしも食べたい。」数年前の、フンボルトに入学した年のマスターゼミを思い出す。ある男子学生が革カバンから黄色のパプリカを取り出して、突然丸ごと齧りだしたのだ。あのとき目を丸くしたのにね。笑ってしまう。前向きになった。とりあえずひとつ、シラーに報告することは見つかった。