甘いのは苦手

この街に来て持ちものが変わった。ピンヒールのクツやビジューのついたバッグ、デリケートなつくりで複雑にふくらむスカートなんかにもうずいぶん会ってないんだよね、とか、そういう話ではない。わたしが内側に持っているもの、なにかしらその人を特定する匂いや味わいのようなものが、知らないあいだにすっかり変わったようなのだ。わたしはどうやら「甘い」らしい。だから甘くみられて、ようはナメられる。

いつもどおり、在宅していたのに「受取人不在」で届かなかった荷物を引き取りに、階下のクリニックへ向かった。朝からよく晴れた金曜日の15時近く、いつもは患者の往来がそこそこあるエントランスに、夕方の学校プールみたいなまどろんだ空気が漂っている。

呼び鈴に触れて、一瞬わたしは履いてきたスニーカーが汚れたままだったんじゃないかと気になって足元を確かめたりしながら、ビーッと色気なく響いて開錠されたドアを押した。すると突然、異常に興奮した犬の攻撃的な声が奥から聞こえてきて、細長い廊下と高い天井のあいだにワンワンこだました。

それとほぼ同時に、右手の方から猛烈な勢いで駆けてくる音がした。広いクリニックの廊下のコーナーを全速力で曲がるのに、横滑りしながら必死で向かってくる気配がする。生きもの全般に不得手なわたしは、恐いから知らんふりをして、左手の受付へ毅然と進むしかない。絶対に振り向きたくない。眉間に皺が寄って目が細まる。微妙にすくまってしまった肩で歩くなんて、全然クールじゃない。

何事かと思ったのは受付の人も一緒だったらしく、彼女の丸くした目とこちらの縮みあがった目が合った。後ろから飛びかかるであろう犬のサイズを想像して、ああ、もうダメだと思う。お尻を噛まれたらクリニックなんだし、診てもらえばいい。ちょうどそう観念した時、ぽこんとふくらはぎに接触があった。できれば振り向きたくない、でも背後から売られたケンカは無視できない。

そこにいたのは、舌をゆらゆら出した小ぶりなダックスフントだった。リアルでもぬいぐるみでもよく見掛ける、ちょっと洒落た爺さんみたいな犬である。あとで調べたらワイヤーダックスというらしい。そのワイヤーがわたしの爪先で跳ねている。緊張のあまり硬直した人間の方は、まともな直視もできなかった。寡黙を貫き荷物をもらって部屋に(逃げ)帰った。

ここ二、三年で気づいたのだけれど、わたしは道で犬に懐かれたり、まとわりつかれたりすることがよくあるのだ。それも大抵は小型犬に。この街に来た頃は、なぜか警戒されたり遠くから吠えられてばかりいたはずなのに。

それから数日経って、中庭の向こうの方に犬と飼い主のコンビを見つけた。あの犬だった。印象よりずっと小さくて驚く。ワイヤーダックスはおじいさんどころか、ほとんど赤ちゃんだった。騒ぐでもなくおとなしくして、それっぽく振る舞っているじゃない。それでようやく腑に落ちた。加減を知らぬ赤ちゃん犬は、わたしを派手にからかったのだ。

いつの間にか、ビターなわたしはすっかり甘くなったらしい。だから甘くみられて、ようは赤ちゃん犬に(ほんとうに)ナメられた。