お気に入りのトルコ料理店が閉じた。家族経営の小さなレストラン。近所のトルコ人家庭のお母さんたちが「今日はご飯の支度するの疲れちゃったし外食しましょうよ」と言って、飾らずふらりと来るような場所だった。同じ気分の時、わたしたちもよくお世話になった。行くとマダムとさわやかな息子が名前を呼んで出迎えてくれて、座れば自動的にエフェス・ビールと大きなボトルのサン・ペレグリノが運ばれてくる。
コロナ禍にはデリバリーでいつものメニューをお願いした。それからまた歩いて店に通うようになったけれど、レストランは大抵ガランとしていた。人気のない建築物は威張りだすから、やけに壁が冷たく広く感じる。いつのまにか値段が上がって、いつのまにかマダムはレジを打たなくなって、気が付いたらウィンドウに並んだ日替わり惣菜が消えていた。
わざわいはお客さんも一緒に連れていなくなったのだ。あの空洞の時間を乗り越えた気でいたけれど、そのあとにやって来たのは違う顔の現実だった。「またいつもの日常が戻りましたね」なんて、嘘。いつだって、なんだって、そんなこと起こるわけない。もう戻らない。
レストランがなくなるのを知ったのは、閉店する一週間前だった。そのちょっと前に行った時はいつもどおりだったのに。家主との話し合いがまとまって、急に来週閉じることに決まったとマダムは教えてくれた。「じゃあ来週、また来ます」と言ってわたしたちは帰り、翌週の木曜日にまた行った。
いつもの時間に到着すると、テーブルクロスと小ぶりなブーケで飾られた長テーブルがある。多くの席にRESERVIERTの銀プレートが立った。テーブルの上にひとつずつ置かれた真鍮の一輪挿しが、変わらない世界の中心みたいに鈍く光っていた。賑わいが戻っている。ちょっと外食しましょうよ、楽しくおしゃべりしたりして。レストランはそんな空気が充満して、とても手狭に見えた。でももう遅い。遅すぎることを悔やむにしたって、もう遅かった。
まだ時間まであるからと、予約をしなかったわたしたちにテーブルを用意してくれた。ビールとサン・ペレグリノが運ばれてくる。いつものメニューをオーダーして、食後にトルコ紅茶を飲んだ。サービスの甘い甘いバクラヴァも一緒。ささっとすべてを美味しくいただいてから、ささっと会計をして帰る。「長いあいだ、本当にありがとう。お元気で。きっとまたこのあたりの道で会えますね。」
マダムが「明後日閉店よ」ともう一度言うので、「来れたら土曜日のランチに」と微笑んで店を出た。Auf Wiedersehen! いつものようにTschüssでもSchönen Abendでもなく、もう一度会えるかわからない時に、Wiedersehen(再会)と言って。
なんとなくRもわたしも、土曜日は行けないと感じていた。最後の時に活気の満ちるレストランと彼らの姿を、どんな風に受け止めていいかわからなかった。そんなことならもっと前に何かできなかった?どのくらいの頻度で行けばよかったの?考えるけれどもう遅い、過去の手入れはできっこないから。
ベルリンで、わたしたちにはお気に入りのレストランが出来た。滅多に外食をしない暮らしの中で、やって来た頃から通った心の落ち着く場所。ふたつだけ。名前を呼んでくれて、エフェス・ビールとサン・ペレグリノが自動的に運ばれてくる。どちらもトルコ料理レストラン。もう、ひとつだけになってしまった。とても淋しいよ、さよなら、Gül。
後悔はしたくないから、もうちょっと訪問の頻度をあげるしかない。「今日はご飯の支度するの疲れちゃったし外食しましょうよ」というわけではなくて。