クリームを買いに

「今日はまた暑くなるらしい」と聞いたのに、空はたいして青くないし、太陽だって逃げ腰だ。この家なんて、もう冷気が床を泳いでいる。やだな、ぶ厚い靴下をまた履かなくちゃ。やっぱりもう秋じゃない、とわたしは恨めしく思う。なんとなく部屋の真っ白の壁を指先ですくってみたら、棚の奥に忘れられた陶器の花瓶みたいにひんやりしている。このままここにいたら凍ってしまう気がして、アイデアもなく外に出た。

とりあえず家を離れて左に進んで、そうだ、アポテケ(薬局)で顔のクリームを買おうと思いつく。前からやって来るひとたちは、老いも若きも示し合わせたみたいにアイスクリームを食べていた。小さな女の子とすれ違う時に目があった。ぺろーっと確実に通常モードではないスローモーションで、アイス玉をゆっくり大袈裟に舐めてみせる。きっとわたしだけ全身黒ですこし厚着で、アイスを食べる資格のないひとに見えたのだ。

アポテケは空いていた。ピンポーンの音が入口で上から落ちてきて、中二階みたいな奥の方から白衣を喜た女性がハローと出てきた。整然と並ぶ商品のなかに目的のクリームを探していたら、「なにかお探しですか?」と後ろから呼ばれる。いつもなら「ありがとう、ちょっと探してみますから大丈夫」と応えるほうなのに、なぜかすっかり素直に「おねがいします」と言ってしまった。

そのとき、それからまさか20分もそこに足止めされることをわたしは知らない。お目当てのクリームが店の棚には無く、しかし在庫システムには確かに有るとかで、てんやわんやの騒動が始まった。白衣を着た女性が次々に店の奥から現れて、シルクハットから飛び出す鳩に見える。「あの、もう、あ、大丈夫です・・」のか細い声が、興奮気味のネイティヴたちに勝てるわけがなかった。わたしは大人しく待つことにした。待ちながら、帰りにスーパーでバニラアイスを買おうと考えていた。