列車の出発までまだ時間があったから、ベルリン中央駅のキオスクを覗いてまわる。土曜の昼の駅は旅行者で溢れていた。彼らの心はとっくに別の目的地へ出発してしまったみたいで、残された体だけが駅の構内や売店を虚ろに移動している。サンドイッチに伸ばす手も、支払いのコインをつまみ出す指も、みんないつもより10秒は遅い。わたしはどうにか心を体に引き留めたまま、テトラパック入りの水を注意深く探していた。それがスタジアムへの持ち込みを許された、唯一の飲み物だったから。
空港のDuty Freeに山積みされたカートの横はいつだって素通りしてきた。ぎらぎらとアピールするテトラパックをよそ目に、液体の透ける涼しそうなペットボトルの誘いになびく。「今日突然欲しいなんて勝手すぎる!」と声が聞こえた。日頃の行いの報いは、忘れた頃に返ってくるのだと観念する。わたしはすっかり色褪せたペットボトルを手に取ってレジへ進んだ。人生を短く切りとって目的を捉えなおせば、とりあえずは達成。ウォルフスブルクまでの電車はこれで十分、ひとまず問題は先送りにすればいい。その日の最高気温はセ氏30度、夜のフットボール観戦に最高の条件である。
到着したウォルフスブルクの街はとにかく暑かった。駅前をきれいに埋め尽くしたコンクリート舗装の道と、対岸にそびえる巨大なVWマークのせいかもしれない。硬いクルマの匂いが目を通って鼻に駆け抜けていく。きっと体感気温は2度くらい高かったはずだ。キックオフの20時45分になってもわたしは半袖のままで、手ぶらでスタジアムの席に座った。テトラパックの水は神々しい天空の産物で、地上では容易く手に入らないのである。それに先延ばしにした問題は、また先延ばしになると大体決まっている。
1日半袖で過ごす、という1年に数日わたしにはあるかないかのレアな状況に、その日もう1つのレアが重なっていた。はじめてフットボールをスタジアムで観戦するのだ。それまでは、荒れ狂うサポーターの大男たちにもみくちゃになるのはできれば遠慮したい、頭から降り注がれるビールは絶対に遠慮したい、と真摯に遠慮をし続けて、もっぱら自宅でモニターに齧りついてきた。そうした過去の何日もの夜を抱えて(代表の親善試合とはいえ)とうとう現場に居合わせるのだ。
試合前は2-1で日本の勝利と思っていたけれど、終わってみれば4-1の大勝である。ここしばらく続くドイツ代表の不振と不人気から、スタジアムは満席ですらなく、どちらのホームともアウェイとも言えない乳白色の雰囲気だった。むしろ後半は攻めあぐねてバックパスの多いドイツ代表にブーイングが止まなかったし、当日まで煽り続けたメディアの代表叩きも考えるなら、状況は彼らにとってアウェイみたいなものだった。
Mentalitätーメンタリティ。わたしが「ウサギ」と呼ぶ往年の名ドイツ人選手がいつも、今回も、口にしていた。昨年のワールドカップの後だったろうか、「まるで深い穴に落ちてしまったみたいだ」とキミッヒは言った。アイゼンのようなドイツ人の、フットボール代表選手の精神力が薄らと、しかし気付けばもう取り戻せないくらい確実に、変質してしまったのかもしれない。
もちろん戦術のミスマッチや失敗、基本的なテクニックの低下はあるだろう。ディフェンダーはおかしなポジショニングだったし、トラップもパスも日本代表の方が繊細で正確だった。スタジアムの乳白色の空気が霧になって重たく降りてきて、選手にぴったり張りついてしまったみたいだ。ドイツ代表のプレーは集中力に欠けていて、ひどく輪郭がぼやけていた。超遠視のわたしにすらそう見えた。ピッチを挟んだ向こうのVIPシートに、JFA田嶋会長を見つけることができたのに。
メンタリティだけで(本来彼らがそうだったような)ヨーロッパの強豪に戻れるわけではない。けれどそれがなくては、そもそもフットボールの顔つきさえ保てない。スタジアムで感じたのは、フットボールは「人間が草の上でボールを蹴る」とても原始的なスポーツであるということだ。画面を通して見ていると、どうしても冴えたテクニックや驚きの連携、超人的な運動能力を見せつけるゴールシーンに目が囚われてしまう。けれど目の前に広がるピッチに走っていたのは、超人というよりも人だった。肉体と精神を持った生身の人間。そして、日本代表選手たちの放つ自信に気圧された。
チャンピオンズ・リーグのベスト8あたりを見ていると時々、リスペクトに毒味を混ぜて「億万長者がひとつのボールを必死に追ってる」と呟かないでもなかったけれど、いまなら毒味を退場させて同じセリフを言えると思う。完全にリスペクトで。
ところで、あの日のスタジアムでは(ドイツ在住において)過去ないくらい多くの日本語を聞いた。左右前後、風に乗ったチャントも含めると本当にあらゆる方角から声が降ってきた。それもすべてがポジティヴである。「いいよいいよ!」とか「ナイスパス!」、「ミトマいけ!!」「大丈夫大丈夫!」「こっからまたいけるよー!」とか。
100%応援するってそういうことなんだ、と勉強になる。とても短くて、すっかり単純で、その人の行いをジャッジするでもリアクションするでもなく、ただその行いのお尻をそっと優しく持ち上げて、元気づけるだけの発声。内容ではなくて、シンプルでポジティヴな声そのものが誰かのエネルギーに変わるのを見た。
ベルリンから1時間15分くらい遠出をしたところに、新しい景色があった。たとえ帰りの電車が126分遅れようが、仕方がないから早い別の電車に飛び乗って通路に立つことになろうが、あの週末には感謝しかない。