たとえばちょっと喉が渇いて、水を買うのに入った小さなコーナー・ショップでも「現金は使えません」と返されてしまう街では、すれ違う人も皆こ綺麗だ。お目当てのコインを小さな財布宇宙から探し出すときに指に染みつく、あの古いメタルの匂いは思い出話になるかもしれない。この国の、折り目の全然つかないフューチャリスティックな紙幣をちょっと気の毒に思う。もう誰も日常的には使わなくなるんだろう。未来感満載の過去なんて哀しすぎる。お札の顔、クイーンからキングに変えなきゃ本当にだめ?そんなことを考えながら、ペットボトルをぶら下げてわたしはストリートを歩く。
パンク・ファッションの女の子たちが「わかるよね?ココそういうとこだから」と無言で発しながらこちらへ近づいてくる。でも彼女たちは、思わずこちらが「はい、存じあげております」と答えてしまいそうなくらいに清潔で、よく整えられてきちんとしていた。「ぶっ壊せ」的な匂いは遥か彼方、古いのかもしれない。いまのロンドンではトゲがなくてもパンクするらしい。
そう感じるのは、あるいはわたしがベルリンから来たせいだろうか。修復されたと見せかけて、壊されたままの剥き出しが残る街には、どこか得体の知れないような怖い空気が居座っている。ときどき気を抜いていると、思いがけないものと遭遇することがある。
なかなか暑くなりそうなある日の午後、どこかで水を買いたいのにと思いながらギチナー・シュトラーセを歩いていた。小さなペットボトルが気軽に手に入るような店の気配はなく、あるのはウィンドウの奥の暗闇に、ホコリかヨゴレかわからないほど半透明に変色した巨大なシャンデリアを売っているアンティーク・ショップくらいだった。
さっき通り過ぎた駅前のスーパーは、かなり混雑してそうだったし。わたしは過去の決断を慰めながら歩く。来た道を戻るくらいなら進んでしまいたい性格が、災いしたかもしれない。そんなとき、前方から密着してカップルがやってきた。暑苦しいはずが爽快に映える若者の姿を眩しく感じながら、控えめに凝視する。パンク。彼らの姿は目を通って脳に抜けて、ロンドンの女の子たちのイメージを呼び出した。けれど二つはちっとも重ならない。ベルリンのカップルの、ジャンル(得体)の知れない空気が思考を曇らせてしまったのだ。
ファッションというよりもアティチュードかも、ライフかもしれない、と思う。彼らには手入れされないままの、ナマの匂いがある。街と同じでうっすらと汚れてもいる。そして近くに寄るほどに見える細部から、女の子が首にファーを巻いているのがわかった。なんでまた?こんなに暑い日に。でもまあこれがベルリンなのかな、という安易な感想に締めくくるところでぎょっとした。ファーが動いた。
それはファーではなくて、ライフそのものだった。ハムスターより大きくて、フェレットより小さい。ネズミよりはころんと丸く、尻尾は短くて太くてピンと真っ直ぐだった。白とグレーの絹玉のような生き物は、女の子の首の周りをちょろちょろと自由に移動している。もちろん首輪をしたハムスターは見たことがない。けれど、大丈夫なのか。もっと優待してくれそうな別の飼い主候補に飛び移って(文字通り乗り換えて)失踪してしまったり、道路に飛び出して事故にあったりしないのだろうか。その自信は一体どこから、そもそもそれはハムスターじゃなくてなんなのか?
ぬくぬくと育ててきた常識をときどき壊して進む。わたしのファッションはグランジになるばかりで。