見る世界

あるとき、友人から久しぶりのメールがあった。自転車で思わぬ大きな事故にあって、2週間ほどの入院を終えて退院したところだという。昔、K(わたし)が朝の通勤時に背ろからママチャリに追突されて、カバンとピンヒールが吹っ飛んだ話を思い出した、というようなことが書いてあった。そう、あの日はやけに青空の綺麗な冬の朝だった。わたしはお気に入りのファージャケットを羽織り、いつもどおり小さすぎるバッグ(いまならスマートフォンだけでいっぱいになる)を手にさげて、薄いブルーデニムを気持ちルーズに履きながら、裸足にピンヒールで出勤する途中だった。晴天をはっきりと覚えているのは、転倒して地面から(文字通り)天を仰いだから。ぼんやりとした目が追った去りゆくママチャリの黒っぽい背中は、体の感じからして若い男性のようで、そのまま猛スピードで見えなくなった。

わたしは当時、そしてその友人からメールをもらうほんのついさっきまで、「あれは完全な被害者、痛かったし大変だったし」と記憶していた。確かに、痛かった。なにしろ驚いた。転倒した衝撃でジャケットとデニムだって擦り切れたのだ。とても混乱したし、被害者であることには間違いない。ない、のだけれど、その時のわたしを頭に浮かべたら、いろいろなチグハグから(不運を嘆くより先に)どうにも可笑しくなる。ファージャケットに颯爽と(自分ではそう信じている)身を包む電車通勤の小娘。B5ノートすら収納できないミニバッグをちょこんと持って、不真面目なデニム姿で、真冬に裸足のピンヒールで、「出勤」するのだ。とはいえもちろん、どれもわたしの愛するものである。そしてみんな揃っていつかの出番を(実家のクローゼットで)待っている。ベルリンのわたしにはかなり縁遠くなってしまったけれど、とても大切なものたち。

あの日の東京の空は澄んだ群青色で、26歳の見る世界はどこまでもクリアだった。ファッションは仕事で気合を入れるための「アーマー(鎧)」で、適切であるとかないとか、そんなことは1ミリも頭に存在しなかった。気持ちで負けるわけなどなかった。なにか敵対するものが有ったとしても、たとえ(実際には)無かったとしてもだ。

わたしは「いまだって基本的には変わらない」と言いたいけれど、時間は確実に人を変える。外側も内側も、容赦なく。それについては「きっといい意味での変身でありますように」と願ったり、信じたりすることくらいしかできない。それでもいままたあの時に戻ったら、わたしは迷うことなく場違い気味のアーマーを身にまとうだろう。あるいはどこかで26歳の自分にばったり会ったなら「いいじゃないの」と鼓舞したい。

コロナ禍での気遣いとともに、近況報告のメールは締め括られていた。そしてどうやらわたしが、入院やら手術の困難苦難は到底自分には耐えられないだろうと(いうようなことを)言っていた記憶があるという。けれど友人曰く、実際に入院して手術して復帰したら、世界は美しく感じるものだと。ーわたしの記憶はあいまいだけれど、そんなことを言ったのだろうと思う。浅はかでどこか刹那的なあのときの感じがとてもリアルだから。なんだか、やっぱり可笑しい。わたしはいつかのわたしに話しかける。「ああ、そうでしょうよ。でもいいよ、迷わず進んだら。きちんと時が刻まれたら、イヤでもしぶとくなる。いまは、生きるのやめてたまるものですかって思ってる。大丈夫。若さは眩しい、そのときの眩しさ全開で。進んだらいいよ。あなたの目で見る世界は、あなたのものだから」

ちなみに、いまのわたしが見る世界では、ブラックデニムとカフカが常連だ。鎧みたいに重すぎる冬用パーカーは、半年以上も活躍する。裸足にピンヒールはここでは寒過ぎて、きっと危険なトライになるだろう。代わりにゴアテックスのシューズが重宝する場所なのだ。自転車ロードはかなりきちんと整備されていて、後ろから跳ね飛ばされるなんてことはおそらくないはずだ。けれど油断は禁物で、自転車乗りのRはライト付ヘルメットとイエローベストを欠かさない。色合いはずいぶん変わってしまったかもしれない。「美しい」と感じるには、いまのわたしは未熟すぎるかもしれない。けれど意外なほど、この世界を気に入っていると思う。